The Story Behind the Work

私たちは何を見ているのか
Anneの作品には、思想や禅語をカリグラフィーによって表現した作品と、人物のキャラクターを描いたポップな視覚表現という、対照的な二つの表現があります。一見すると、まったく異なる世界に属しているように見える両者。しかし、その隔たりの向こうには、私たちの感覚や認識をめぐる共通の問いが潜んでいるのではないでしょうか。
《Big Sister Is Watching You》には、花柄の背景にサングラスをかけた少女が描かれています。そのタイトルからは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する監視のイメージを連想するかもしれません。タイトルは少女の姿にひとつの意味を与え、私たちの見方を方向づけます。
では、私たちはこの作品の何を見ているのでしょうか。
目の前にある色や形なのか。それとも、タイトルから呼び起こされるイメージや、これまでに身につけてきた知識や価値観なのでしょうか。私たちは作品を見ているつもりで、実は、自分の中にある先入観や解釈を見ているのかもしれません。
見るという行為は、目の前にあるものを受け取るだけのことなのでしょうか。
この問いは、Anneのもうひとつの作品《A Note》にも通じています。
《A Note》に用いられているのは、古代中国の思想書『道徳経』第十二章の言葉です。『道徳経』は、老子の思想を伝える書物として知られています。この章では、色や音、味などの感覚的な刺激や、珍しい物への欲望を追い求めることで、かえって自分自身の感覚や判断が曇ってしまうことが語られています。
そこにあるのは、感覚的な喜びそのものへの否定というよりも、外から与えられる刺激を追い続けるうちに、自分自身の感覚を見失ってしまうことへの問いかけです。
作品の中では、文字が幾重にも重なるレイヤーの向こうから、かき消されそうになりながらも浮かび上がっています。その姿は、私たちが大切なことを忘れかけては思い出す、あるいは、見えているはずのものを見失い、再び見つけようとする、その繰り返しを映し出しているようにも見えます。

この作品を手がかりに《Big Sister Is Watching You》を見つめ直すと、少女の姿やポップな色彩も、異なる意味を帯びてきます。
私たちの目を引くもの。心を惹きつけるもの。繰り返し目にするうちに、いつの間にか当然のものとして受け入れているもの。
そうしたものに囲まれながら、私たちは何を見て、何を見落としているのでしょうか。
《A Note》が思想や言葉を通してこの問いを投げかけるとすれば、《Big Sister Is Watching You》は、ポップなキャラクター表現を通して、私たちの日常的な視覚体験へと問いを引き寄せます。異なる表現でありながら、両者の間には、私たちの感覚や認識が何によって形づくられ、何によって曇らされるのかという問いが横たわっています。
ただし、《A Note》は《Big Sister Is Watching You》の意味を解き明かすための答えではありません。むしろ、一方の作品がもう一方の見え方を変え、そこからさらに別の問いが生まれる。二つの作品を行き来することで、ひとつの作品だけを見ていたときには気づかなかったものが、少しずつ浮かび上がってきます。
ギャラリー琳では、ANNEの対照的な二つの表現を通して、作品を解釈することだけでなく、自分が何を見ているのか、そして、なぜそう見ているのかを問い直すことを提案します。
作品に意味を与えることは、同時に、自分自身の見方と向き合うことでもあります。
二つの作品の間にある余白を埋めるのは、鑑賞者自身なのかもしれません。そして、その余白を埋めようとする過程で、変わっていくのは作品の見え方だけではないはずです。
私たちが世界を認識する、そのこと自体もまた、問い直されているのです。



